かけだし弁護士の頃(1) 1984年
かけだし弁護士の頃(1)
1984.4.2
名古屋のちからまち会館に家族5人で泊まる。ちょうど9年ぶりだ。これも何かの縁か。
9年前のこと、初任判事補として富山地方裁判所に着任する際、その前に、名古屋高等裁判所の長官に挨拶してから行くようにとのアドバイスがあったのだ。
それで、名古屋に寄り、ちからまち会館に泊まったのだった。
そのときは妻と2人で、当時飼っていたカナリアを籠に入れて持っていったのだった。黄色のカナリアだった。
当時の名古屋の裁判所は、古い裁判所だった。
翌日、富山に着任した。富山駅に、裁判所の職員が迎えに来ていたのには、驚いた。
以来9年。富山、大阪、土浦に各3年間づつ勤めた。そして今日、ここにいる。
今朝土浦を出たのは、午前10時頃だった。
土浦の裁判所からは、5人の職員が手伝いに来てくれた。最後まですっかりお世話になった。
午後2時6分の東京行き急行に乗り、東京高裁で、辞職の辞令を受取った。そして名古屋に来た。
明日は、名東区の借家に荷物が届く。
4.3
名東区での借家での第一夜。
荷物の搬入後、家族で名東区役所に行き、転入手続きをする。
次いで、猪高小学校に行き、長男の入学手続きをする。長男は1年生だ。
帰途、道に迷い、遠くまで行ってしまった。家に着いたのは午後5時を過ぎていた。
住居は高台の住宅街だ。千種高校が近い。
この家の家賃、生活費などのすべてを、私が稼ぎ出さなければならない。
これまでの公務員の生活とは、はっきり違う。
これまでは、無難にしておれば、生活の保障はあったが、これからは違う。
名古屋とは縁が無く、知人も無い。
I事務所には3年間の約束だ。
その間に、基盤を築かねばならない。
4.4
長男の入学式。私は朝4時に目覚め、以後眠れなかった。
猪子石電話局に行き、電話申し込む。
「弁護士だと言えば設置を急いでくれる」とのアドバイスを受けていたので、その旨話してみたが、何の効果も無かった。
バツが悪かった。これまでの私であれば、言う言葉では無い。
まだ弁護士の実感が無い。
多分これから、発想の転換が必要となろう。
4.6
三越に行き、表札を買う。
名東区の家から事務所まで約40分。
弁護士登録が出来るのが5月以降になるという。
残念だが、私にはどうしようもないことだ。
その間、事務所の戦力になれないことが申し訳ない。
4.8
昨日は、吹上公園で、テニス。汗が流せた。
事務所の仲間と、お得意さんらで、12人ほど。
自分が民間人との発想に、まだ馴染めない。
裁判所時代の人との距離を置く姿勢が、そのままだ。
でもあわてる必要は無い。なんとかなるだろう。
4.11
仕事は、私にとっては面白いことばかりだ。
裁判の記録も、面白く読める。
裁判所のときとは違う。何故だろうか。
気楽さは確かにある。
法壇の上にいる裁判官が、すぐれて見える。
元裁判官とのプライドを捨てることを自分に課しているが、どうやらこれは難しいことではないようだ。
職務を代わるに際しいくつかの誓いを立てたが、もうひとつ誓いを加えよう。
「仕事に関しては、一切、秘密を守ること」。たとえ、家族に対してもだ。
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