かけだし弁護士の頃(4)
かけだし弁護士の頃(4)
1984.6.28
明日は、浦和地裁に出張だ。
裁判官のときと違い、出かけることが多い。体力勝負といわれるゆえんだろう。
6.30
浦和の事件の相手方のY弁護士。
土浦時代に、私が裁判官として彼の弁護する事件を担当したことがあると言われ、内心ドキッとする。
幸い、悪い印象は持っておられないようだったが、冷や汗をかく。
7.15
名古屋の司法研修所27期の同期会に出る。
明治生命ビル15階「かもめ」にて。なかなか立派な店であり、料理である。もちろん値段の方もだ。
集まった仲間は弁護士歴10年の働き盛りであり、自信にあふれている。声も大きい。
もちろん、私は違う。弁護士歴1ヶ月の私には、会費の負担が重い。
その後、K弁護士と2次会に行くが、そこも私には縁のない場所だった。
7.18
私道に突然家を建てられてしまった事件。
高値で買い取らせようとの魂胆がみえみえだ。悪い奴もいるものだ。
弁護士会の民暴センター、愛知県警、瀬戸警察など、あちこち回る。
しかしながら民事がらみということで、各機関の対応は、総じて反応が鈍い。
こんなときが弁護士の出番なのだ。仮処分を申し立てることになるだろう。
7.24
人脈を広げようと考えて、富山県人会に電話していろいろと事情を聞く。
富山出身の弁護士を紹介され、自宅を訪ねる。
明治生まれの方で、名古屋弁護士会長をも経験された方だが、今は高齢となり、夫婦でひっそりと暮らしておられた。
「富山県人はケチで、県人会といっても会費を取られるばかりだった」、しかしながら、「入っておいて無意味ということはない」などのアドバイスをいただく。お年の割には記憶のはっきりした方であった。
※富山県人会には、数年間顔を出しましたが、最近は行っておりません。
7.27
ユダヤ格言集から、
「人生を楽しく生きるのは、神に対する義務である」
「毎日新しいことがある。これは神の贈り物である」
旧約聖書を読もうと思う。
なぜか、宗教に関心が引かれる。
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