かけだし弁護士の頃(7)
かけだし弁護士の頃(7)
1984.10.29
妻が行政書士の試験を受験する。
資格を取り、将来、私の仕事を援助することが目的であり、その協力はありがたい。
反面、それだけ今の私が頼りないということでもある。
家族に心配をかけないようにしなくては・・・
10.31
札幌地裁に行く。
北海道に行くのは、1969年、大学2年のとき、北大であったテニス部の七帝戦以来だから15年ぶりだ。
そのときは、我々下級生はカンカン踊りをやらされたのだった。⇒テニスの仲間たち
11.10
父の見舞いに魚津に行く。
父は自宅で寝ている。
足腰が痛いので、ほとんど動けず、便所までの数メートルを母に手を貸して貰い、杖にすがって歩く。
意識はしっかりしており、体が動かないことが情けないようだ。
夏に会ったときは普段と変わらぬ元気な様子だったのと比べて、その衰弱ぶりは驚くばかり・・・
放射線治療、抗がん剤の投与を受けているが、その副作用なのだろうか。
11.19
歩け歩け大会のゴール大会。
今年は、歩け歩け大会によく参加した。ヒマだったのだ。
知多半島の野間駅から内海駅までのコースを、2時間以上かけてみかん畑の間を歩く。
晴天で、気持ちよかった。
長男は、テレビのキン肉マンを見るとのことで不参加。昼食のおにぎりを置いて行く。
12.2
父の見舞いに帰る。兄夫婦も戻っている。
父は、先日から労災病院に入院している。
意識はしっかりしており、自分の葬儀の手はずを考えていると、母が言う。
墓は、現代の標準的なものとし、その旨を墓石に書いて置けという。
教師として社会、歴史を教え、定年後は郷土史家として調べ物を続けてきた父らしい発想だ。
12.17
父が亡くなり、葬儀も終わる。
この夏、肺腫瘍と診断されてから、わずか半年足らずであった。
14日通夜。
16日葬儀。
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