駆け出し弁護士のころ(30)

あらたなる出発(3)

 

1987.4.17

 新事務所にて。

 今日も一日が終わる。

 一息ついている・・・というより、若干時間をもてあまし気味といえる。

 事件がすくなく、やっていけないのではないかとの不安がよぎる。

 いま、細々とあるのは、数少ない私の個人事件と、Ⅰ事務所の手伝い分だ。

 事務所を維持する経費分位だろうか。

 あとは・・・などと考え出すと、不安にならないといえば、うそになる。

 

5.11

 5月の連休には、魚津から母が、東京から兄の家族が名古屋に来てくれる。

 久しぶりに賑わった。

 

5.25

 富山県学生寮のOB会である青雲会の名古屋支部結成の準備をしている。

 準大手ゼネコンのT氏が中心となっており、私も協力している。

 

5.27

 事務所便りを作成することにした。

 月1回程度でどうだろうか。

 来所の方に渡す程度だから、枚数は多くなくてよいだろう。

 もともと文章を書くことは嫌いではない。さっそく、作成してみる。

 ワープロで作ると、まあまあの見栄えのものが出来上がった。

 それなりに楽しい。

 

  • ※ このときの記事です。

 いま読み返すと、なつかしく思います。

 

6.2

 昨年末に会社の内紛により、兄に代わって新社長になったⅠ氏が来る。

 今の会社を出て、新会社を作るという。

 やはり兄が作った会社では、うまく行かないのだろう。

 新会社は、新しく工場をたて、7月10日開業とのこと。

 

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駆け出し弁護士のころ(29)

あらたな出発(2)

 

1987.4.6

 新事務所でいよいよ活動開始だ。

 書面を書いたりするのはできるのだが、事務手続きは不得手だ。

 Ⅰ事務所では事務員が多いため、ほとんど任せていたからだ。

 事務は妻に担当してもらうわけだが、慣れるまで多少の時間がかかるだろう。

 

 4日には、K氏から2メートル近い観葉植物が届いていた。

 部屋が豪華になった。

 

  • ※ K氏からいただいた観葉植物(ドラセナ)は、現在(2002.6月)も元気です。

 

4.7

 C社のO課長、S社のI氏、F協会のY氏が挨拶に来てくれる。

 これからも仕事を手伝うことになろう。

 

 青色申告をするつもりでいたのだが、3月15日までに届出をしていなかったから、今年はだめといわれ、くさってしまった。

 

 YMCAに20日ほどぶりに行く。

 BMCの人数が60名ほどに増えたとのこと。

 

4.10

 この4月から新1年生の次女が登校を嫌がった。

 下校時の集団への振り分けが問題らしい。

班ごとの集団下校であり、班は帽子につけたリポンの色で分けられている。

次女は友人方に預けられるため、別の班に行きたいのだが、同じ色のリボンの班に連れ戻されてしまい、混乱したらしい。

長女と長男がかわるがわるなぐさめ、はげまし、ようやく出かけた。

 

  • ※ 事務所を開き共働きとなったため、子供たちは鍵っ子になりました。

 もっとも影響を受けたのが、新1年生の次女でした。

 このころは近所の方にいろいろと助けていただきました。

 

4.11

 K病院の理事長夫婦、Y事務長と夕食を共にする。

 病院内の権限争いが問題となっているのだ。

 話を聞いた結論。

Y事務長らは、はっきりいって事件屋だ。

現在はK病院の事務長の職を得ており、それなりの地位・役職はある。

しかしながら、極めて政治的な発想で物事を処理しようとしている。

私の発想とは異なる。今後、深入りすることは避けねばならない。

 

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駆け出し弁護士のころ(28)

あらたなる出発(1)

 

1987.3.22

 法曹テニス東日本大会。静岡の駿府コートにて。

 午前の対抗戦では、東京の櫛田・佐々木組に4-8で敗れたが、午後の個人線では何とか勝ち進み、決勝で再び

櫛田・佐々木組と対戦し、今度は6-3で勝つ。

 優勝カップは私が預かる。

 

3.25

 いよいよ独立間近だ。

 昨日は貸しビルセンターで鍵を受け取り、部屋を見てきた。 

 狭いような、荷物が入ると広く使えそうな・・・

 もうすぐ机・椅子・応接セットなどが入る。

 何故かとても気分が明るい。

 

3.27

 応接セットが入る。NTTの配線。コピー機ワープロ搬入。

 電話機設置。本棚組立て。

 あと残るのは、ビジネス・ウォールとファクシミリ・・・

 留守番電話機の多機能には驚いた。

 出先から用件が聞けるばかりでなく、応答内容も変更できるらしい。

 

4.1

 本日独立開業。

 書類等移動する。

 

  • ※ このころの写真です。

このとき私は37歳でした。

 

4.4

 まだ不足するものがあるけれど、ようやく事務所の体裁が整ってきた。

 今日は、仕事関係での初めての来客がある予定。

 初日には中野氏が尋ねてくれた。

 

 今日は次女の小学校の入学式。

 いよいよ1年生だ。

 

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かけだし弁護士の頃(27)

かけだし弁護士の頃(27)

 

1987.3.5

 4月からの新事務所開業の準備で、あわただしい。

 机、椅子の備品、ワープロコピー機のOA設備、NTT電話、FAX、それから火災保険の加入などいろいろある。

 結構手間がかかるものだ。

 来週早々には、決めなくてはならないだろう。

 

  • ※ 開業準備にあわただしい日々を過ごしています。

 予算が乏しいので、数箇所から合見積もりをとりました。

 

3.9

 東山公園でのジョギング大会に家族で参加する。

 約5キロメートル。子供たちは昨年より早くなっている。

 走った後、星が丘三越で昼食。

 

3.13

 YMCAにワイズメンズ・クラブというのがあるらしい。

 その初会合に出席する。プラザ・ホテル3階アイリスにて。

 マイケル・メザーブ氏の講演「米日経済摩擦のゆくえ」

 興味ある会と思う。参加してみようか。

 

  • ※ これがプラザ・クラブ入会のきっかけとなりました。

 現在まで続いています。

 ⇒プラザ・クラブの部屋

 

3.14

 昨夜帰宅すると、午後10時過ぎなのに子供たちが起きていて、玄関まで出てくる。

 「おかあさんが具合が悪くて寝ている。お父さんが起こさないように」起きて待っていたのだという。

 その妻も、今朝は元気に起きてきた。

 

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かけだし弁護士の頃(26)

かけだし弁護士の頃(26)

 

1987.1.11(日)

ようやく寒くなった。

数10年ぶりの暖冬ということで、スキー場に雪がなく困っていたらしいが、他方ヨーロッパは、異例な寒波が襲っているらしい。

 

昨夜は、アンサンブルの新年会。

青木ホールにて、ミニ・コンサート。

私の属するピューリタン・カルテットは、4番目に出て、ハイドンのセレナーデ、ボッケリーニのメヌエット、それとトロイメライを演奏。少人数なので、緊張した。

 

アンサンブルの終わったあと午後11時過ぎに自宅に電話があり、中川区のI会社に駆けつける。

社長交代の団交だ。

そのまま延々と午前5時半まで、交渉が続く。

社長解任し、新たな社長を選任した。

自宅に戻ったのは、AM6:30だった。

 

夕方に、新社長が来る。

新社長の報告では、新社長選任後、引き続きAM11時頃まで話し合い、元社長は退職し、荷物を持って会社から出て行ったという。

思わぬテンポでの展開だった。

正念場はこれからで、会社の建て直しが残っている。

 

  • ※ I会社は従業員10数名の小さな会社でしたが、このころ会社の業績が急激に伸びていました。ところが金回りが良くなると、それに合わせる様に社長が遊びだしたのです。見かねた社長の弟がクーデターを起こしたという事件でした。

 この会社が、最初の顧問会社となりました。

 

2.8

 4月に独立して新事務所を開設する。

 丸の内駅前の新しいビルだ。

 手付金はすでに支払った。

 もう後戻りは出来ない。

 昨日は、事務機器のカタログを見ながら、事務所のレイアウトを検討した。

 

 

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かけだし弁護士の頃(25)

かけだし弁護士の頃(25)

 

1986.11.28

 新しい事務所がほぼ決まる。

 地下鉄丸の内駅1番出口の前に来年2月完成予定のビルだ。

 丸の内オフィス・フォーラム、その4階、14坪だ。

 賃料・管理費こみで、坪当たり9900円。

 場所としては、これ以上のところはない。満足できる条件といえる。

 

12.28

 20日 ライオンズのクリスマス例会 国際観光ホテル

 21日 チェリー・テニス・クラブにて法曹テニス 

 22日 忘年会 かに道楽

 25日 ライオンズの忘年会 今池

 26日 忘年会 伏見

 27日 事務所の忘年会 八事

 

  ※振り返ると忘年会が多いのに驚きます。

   景気が良かったのでしょうか。

   

12.31

 雨の大晦日

 門にはしめ飾りをした。

 今年も無事に過ごせたことを感謝する。

 

1987.1.1

新しい年。

 家族で近くの日吉神社に初詣。

 晴天だが、風が強かった。

 

 ⇒新年の初詣は、その後も続いています。

 

1.2

 曇天

 いましがた、新事務所を見に、妻と丸の内まで行ってきたところ。

 4月に入居予定だ。

 今年は帰省しなかった。

 正月に家族でゆっくりするのは、ずいぶん久しぶりだ。

 

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かけだし弁護士のころ(24)

かけだし弁護士のころ(24)

 

1986.10.19

 ほぼ1年ぶりに設楽農学校に行き、味噌を持ち帰る。前に行ったときに漬けたものだ。

 卵とジャムなどを買う。

 子供たちはアヒルをからかい、羊に草をやる。

 昨年来たときと、農学校自体はあまり変化がない。畑もチョボチョボだ。

 つまり、発展がめだたないということだ。

 頑張ってほしいとは思うが・・・

 

11.2

 家族で平和公園に行き、バドミントンをして遊ぶ。

 子供たちは大喜び。

 落ち葉を拾って帰り、腐葉土とする。

 

11.11

 アンサンブル演奏会。県婦人会館にて。

 350席のところ、来場者は250人程。

 私の知人では、テニス関係者が10名ほどきてくださった。

 

⇒法曹バロック・アンサンブルの仲間たち   

 

11.15

 水不足とのことで、給水制限がまもなく始まるらしい。

 ボス弁の自宅で、バーベキユュー。家族で参加する。

 総勢17名参加で、賑やかだった。

 

11.16

 テニスの高橋杯シングルス大会。

 名古屋に来て2年連続準優勝なので、ことしこそは優勝を狙い、そのための練習を重ねたつもりだったのだが、つもりで終わった。

 T氏に敗れて、決勝にまで進めなかった。

 調子が悪いわけではない。こんなものなのだろう。

 

⇒初優勝したのはもっと後になります。

 

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