駆け出し弁護士のころ(29)

あらたな出発(2)

 

1987.4.6

 新事務所でいよいよ活動開始だ。

 書面を書いたりするのはできるのだが、事務手続きは不得手だ。

 Ⅰ事務所では事務員が多いため、ほとんど任せていたからだ。

 事務は妻に担当してもらうわけだが、慣れるまで多少の時間がかかるだろう。

 

 4日には、K氏から2メートル近い観葉植物が届いていた。

 部屋が豪華になった。

 

  • ※ K氏からいただいた観葉植物(ドラセナ)は、現在(2002.6月)も元気です。

 

4.7

 C社のO課長、S社のI氏、F協会のY氏が挨拶に来てくれる。

 これからも仕事を手伝うことになろう。

 

 青色申告をするつもりでいたのだが、3月15日までに届出をしていなかったから、今年はだめといわれ、くさってしまった。

 

 YMCAに20日ほどぶりに行く。

 BMCの人数が60名ほどに増えたとのこと。

 

4.10

 この4月から新1年生の次女が登校を嫌がった。

 下校時の集団への振り分けが問題らしい。

班ごとの集団下校であり、班は帽子につけたリポンの色で分けられている。

次女は友人方に預けられるため、別の班に行きたいのだが、同じ色のリボンの班に連れ戻されてしまい、混乱したらしい。

長女と長男がかわるがわるなぐさめ、はげまし、ようやく出かけた。

 

  • ※ 事務所を開き共働きとなったため、子供たちは鍵っ子になりました。

 もっとも影響を受けたのが、新1年生の次女でした。

 このころは近所の方にいろいろと助けていただきました。

 

4.11

 K病院の理事長夫婦、Y事務長と夕食を共にする。

 病院内の権限争いが問題となっているのだ。

 話を聞いた結論。

Y事務長らは、はっきりいって事件屋だ。

現在はK病院の事務長の職を得ており、それなりの地位・役職はある。

しかしながら、極めて政治的な発想で物事を処理しようとしている。

私の発想とは異なる。今後、深入りすることは避けねばならない。

 

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