かけだし弁護士の頃(6)

かけだし弁護士の頃(6)

 

1984.9.13

 裁判所の破産係りから電話有り。破産事件を受任する。

 家に帰るのは、午後8時過ぎ。寝るのが10時過ぎ。

 家ではほとんど仕事はしない。休日も自由に過ごせる。

 裁判所時代は、判決書きは家でしており、休日はたまった判決を起案する日に充てていたため、精神的に休まるときがなかった。

生活が大きく変わったことになる。一番有り難い点である。もう戻りたくない。

 

9.21

 司法研修所同期・同クラスのH裁判官亡くなる。

 彼とは、裁判官時代、大阪で1年間一緒に過ごしたこともある。

 ひょうひょうとした人物で、雑念の少なさを感じさせる人だった。

 肝臓が悪いということで、宴席でも酒は一切たしなまなかったが、やはり肝臓が原因らしい。

 今春の私の弁護士転出の挨拶に対し、彼らしいさっぱりした返信が来たのも、ついこの前の7月のことだった。

 残念であり、逢う瀬の貴さを思う。

 

   ※私は司法研修所27期でした。Hさんをはじめ、クラスの仲間でテニス合宿に行ったこともあります。楽しい時期でした。

    司法研修所の仲間たち

 

10.3

 M弁護士の紹介で、事件の依頼を受ける。

 私の個人受任事件としては、初めてである。

 M弁護士はテニス仲間であり、いろいろと気遣って下さる。本当にありがたいことだ。

 

10.7

 中日健康ウオークに家族で参加する。

 日曜朝のテレビの「筋肉マン」が見たいと、長男が抵抗するのを、無理に連れて行ったのだが、少し強引だった。悪かった。

 黒笹駅に車を止め、電車で三好ヶ丘の駅に行く。そこを出発点として、愛知池の周りを歩き、黒笹駅に戻る。

 愛知池の眺めは、素晴らしかった。9キロの道のりだった。

 

   ※数年後に私は東郷町に引っ越すのですが、新居は愛知池の近くでした。

    現在(2002年5月)も、早朝、愛知池を走っています。走りながら、家族で歩いたこのときの情景をよく思い出し、時の流れを思います。

 

10.22

 共済掛け金半年分13万円、住民税3か月分7万円などの支払いがあり、収入だけではやっていけず、貯金を取り崩す。

 家賃は、毎月10万円である。将来の独立を考えると、貯金は残しておけなければならないのだが。

 

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