かけだし弁護士の頃(10)

かけだし弁護士の頃(10)

 

1985.4.26

 名古屋弁護士会主催の講演会「死刑台からの生還」を聞く。中小企業センター。

 松山事件の斎藤被告、青木弁護人、徳島ラジオ商殺しの西嶋弁護人らが語る。

 その語るところに、共感を覚えた。

しかしながら、裁判所を無能扱いする表現には、なじめない感じを受けた。

 自分が裁判所にいたためだろうか・・・

 

4.29

 天白こうのすテニス・クラブのダブルス大会に出る。

 ペアは抽選で決まる。K氏と組む。

 本戦は1回戦で敗れ、コンソレーションに回り、決勝まで行く。

 決勝で、T・Y組に5-6で敗れる。

 すっかり日焼けする。

 

5.2

 弁護士になった1年前と比べると、ほんの少しだがとっかかりが出来ている。

 知人も増えた。この芽を伸ばし育てていくほかない。

 弁護士仲間での友人が出来ないのは、予想外だった。

 でも、委員会に今年から入ったことだし、何とかなるだろう。

 

5.4

 歩け歩け大会で、御岳駅まで行き、みたけの森を歩く。

 椎茸の原木を1本買う。

 椎茸の菌が植えられており、1年後に実り始め、3年ほどもつという。

 

5.8

 教育委員会から、電話で、妻に中学の代用教員の話が来る。

 近くの中学でもあり、嬉しい話である。

 問題は4歳の次女のこと。保育所に預けねばならなくなる。 

 不憫だが、ここは我慢して貰おうと、夫婦で話し合う。

 翌日、教委に受諾の旨を連絡したが、既に他の人が受諾したとのことで、撤回となる。

振り出しに戻ったわけで、がっかりする。

 教育委員会としては、代用教員の補充は緊急な必要時であり、候補者に次から次と連絡して意向を尋ねているわけだ。

電話を受けたときに、即決しないと、他の人に回ってしまうことは、当然ことなのだろう。

 

   ※妻は以前中学の教師をしていましたので、代用教員に申し込んだものです。

    その後、代用教員の話はありませんでした。

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