駆け出し弁護士のころ(23)

駆け出し弁護士のころ(23)

 

1986.9.23

 21日(日)、天白鴻巣杯ダブルスに、井上氏と組んで出場。

 2回勝ち、ベスト4に入る。一応目標は達したことになる。

 

今日は秋分の日。朝6時30分に家を出て、テニス・コートへ行く。I氏、O氏らも来ている。

 テニスの早朝練習だ。これからも参加しよう。

 

 午後、妻と栄に行き、トップカメラにてワープロを買う。

 シャープのWD305F、94600円也。

 

  • ※ 半年後の独立開業の準備として、ワープロを買いました。

 当時は、個人用のワープロがようやく普及し始めたころであり、液晶部分が文字数行分しかないものでした。

 

9.26

 T.E氏の個人破産事件。

 高利貸しから支払い責任の免除に対して異議が出されている。

 T.E氏側にも弱みがあるため、当方が若干の金を支払って高利貸しに異議を取り下げてもらう、ということで合意が出来ていた。

 先に送金すれば必ず取り下げる。その逆は嫌だ、との高利貸しの言葉を信用して、先に送金した。

 ところがその後話が変わった。

送金分は内金として受けておく。もっと金を支払え。さもないと取り下げはしない、と言ってきたのだ。

騙されたことになる。

このような場合を想定し、「送金後、約束に従い直ちに取下げ手続きを取るように」との内容の書面を、あらかじめ書留で相手に送付してある。

この書面の控えを裁判所に提出して、裁判所の判断を待つことになろう。

 

10.14

 久しぶりに、歩け歩け大会に参加。

 知多の河和口から南知多ビーチ・ランドまで歩く。

 素晴らしい秋晴れの日であり、みかんが色づいていた。

 

  • ※ 子供たちも大きくなり(長女が小5)、これが家族で参加した最後の歩け歩け大会となりました。

 この数年後から、私は一人でウオーキング大会に参加するようになります。

 

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かけだし弁護士の頃(22)

かけだし弁護士の頃(22

 

1986.8.25

 23日~25日、アンサンブルの合宿で、作手村に行く。

 みっちり絞られ、グッタリ疲れた。

 練習曲は、バッハ組曲モーツァルトアイネクライネナハトムジーク、グリーンスリーブズ、ドボルザークアルビノーニ・・・

 

8.30

 名東ライオンズのボランティア事業として、星が丘三越にて、献血の手伝いをする。

 403名の献血者有り。実践の立場にたってみると、人の善意の有り難さを感じた。

 私も、献血をする。

 

  • ※ このことがきっかけで、定期的に献血をするようになり、もう30回程になります。

私の場合は、毎年12月の仕事納めの日に400ccの献血をする習慣になっています。

 

8.31

 夏休みの最後の日。家族で牧野が原緑地に行く。

 昨年もこの時期に行ったのだった。

 公園の広場は工事中らしいが、日曜で工事が休みらしく、公園に人が多数入り込んでいた。

 散歩道では、素手セミの取り放題。次女も何匹も捕まえた。

 取ってはすぐ放すのであるが、面白いのであろう。

 

9.8

 近所を散歩する。

 農園に足が向かう。市の貸し農園だ。

 居合わせた初老の方から話を聞く。

 28番と40番がほとんど使われておらず、直接交渉する方法もあるらしい。

 

  • 名東区のときは畑はせず、東郷町に引っ越してから、菜園を始めました。

今も続いています。

 

9.15

 祭日。ぐずついた天候。

 妻と2人で、丸の内近辺の事務所巡り。

 やはり、独立するのは、丸の内界隈が適当との結論になる。

 

  • ※ 独立を半年後に控え、そろそろ事務所の場所探しを始めています。

 

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かけだし弁護士の頃(21)

かけだし弁護士の頃(21

 

1986.7.10

 名東ライオンズ・クラブに入会する。

 M弁護士の紹介で入ったものだが、実際には何も知らないに等しい。

昨日入会式。東山会館にて。

 始めに帽子が渡されたあたりで、おやおやと思い、

ウォー!と吼えるあたりで、勝手が違うぞ、と思い、

 君が代斉唱あたりで、また戸惑う、そんなふうであった。

 しかし、漠然とではあるが、続けていかなければならない、いけると思った。

 

  • ※ 名東ライオンズは約80名ほどの会員がおりました。

1989年に東郷町に引っ越すまで在籍しました。

 

7.29

 2日前に、2度目の梅雨明け宣言。

 1度目は10日ほど前に出たのだが、その後大雨が続き、撤回

 そんなわけで、2度目の宣言となる。

 

 K先生と組み、ロング・ウッドT.Cでの、90歳以上ダブルス(2人の年齢合計が90歳以上)に出る。

 出場5組の中で3勝して、予選突破する。

 しかし、本戦は、日程の関係で欠場の予定だ。

 この大会は、私学共済主催とのこと、どうりで先生方が多いわけだ。

 

8.11

 家族旅行。

 今年は、紀伊半島に2泊3日の旅。

 初日は、紀伊長嶋で海水浴の後、サン勝浦に泊まる。

 2日目は、勝浦湾を船で回った後、那智の滝を観る。

 松坂まで戻り、松坂ハイツに泊まる。

 3日目は、次女が熱を出したので、急いで帰る。

 

8.18

 Y氏と鈴鹿山脈の釈迦が岳に登る。

 朝明ヒュッテから羽鳥峰まで50分。熊笹を分けて山頂まで2時間弱。

 庵座の滝を観て、下る。

 

特に、「鈴鹿の槍」とも言われる鎌が岳には、何度も登りました。

 

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かけだし弁護士の頃(20)

かけだし弁護士の頃(20

 

1986.4月末

 事務所旅行でハワイへ行く。総勢6名。

 初めての海外旅行であり、楽しかった。

 

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5.5

 名古屋に来て3年目に入っている。

 今、名東ライオンズ・クラブへの入会手続きをしている。

 自分に出来ることからやっていくしかない。

 

5.30

 1年ほど続いた札幌地裁の事件が終わる。

 これで札幌に行くことも当分ないと思うと、多少の感慨有り。

 千歳空港で、生ラーメン1箱買う。

 

6.18

 弁護士登録から2年が経過した。

 現在、手持ちの個人事件は10件弱。

 このところ、思わぬ方からの事件の紹介があり、調子の波に乗っているようだ。

 

7.4

南区のS特許事務所を尋ねる。

津山支部での事件の打合せのため。

答弁書等すべて作成してあり、助かる。

私のすることは、今のところほとんどない。

着手金を頂くのが申し訳ないような気がした。

 

7.7

 津山支部に出張。

 I裁判官と久しぶりに会う。

 大阪地裁で一緒だったから、8年ぶりとなる。早いものだ。

 I裁判官は、大阪を出て、大洲支部に4年間、津山に来て4年経つという。

 その間、私は土浦に3年いて、名古屋に来て弁護士となった。

 

   ※I裁判官とは、今年(2002年)3月に再会しました。

 

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駆け出し弁護士の頃(19)

駆け出し弁護士の頃(19

 

1986.3.9

 朝5時に起き、ハレー彗星を見るため、家族で東山公園の高台まで行く。

 あいにく雲が多く、見えなかった。

 

 東山霊園での家族ジョギング大会に出る。約5キロ。

 家族5人全員が完走する。

 

  • ※ このころ、ハレー彗星が70数年ぶりに地球に接近しているとかで、話題になっていました。

 

3.10

 国選の刑事事件の判決。

 予想していたよりも重い実刑判決であった。

 当方の言い分は、ほとんど取り上げてもらえなかった。

 刑事事件は当分やるまい。

 いくら努力しても、むなしくなるだけだから・・・

 

3.23

 アンサンブルの練習。午後3時から8時まで。

 終わると、どっと疲れる。

 行く前は、今日も針のむしろかと思い、足が重く、さぼりたくなる。

 私は、アンサンブルの落ちこぼれだ。落ちこぼれの心境がよく分かる。

 

4.3

 高校野球。春の選抜大会。

 富山県新湊高校が大健闘でベスト4進出。

 宇都宮東高校に敗れた。

 富山県人を意識させられ、心が浮き立つ数日間であった。

 

4.21

 テニスの高橋杯。日進の中電コートにて開催。

 18名参加。

 決勝でG弁護士に7-8で敗れ、昨年に続き、準優勝に終わる。

 

  • ※ 法曹仲間のテニスのシングルス大会は、毎年日進の中電コートで開かれておりました。

ライバルのG弁護士は、名古屋大学のテニス部出身であり、始めの頃はなかなか勝てませんでした。

数年後にようやく彼を破り、初優勝できました。

 

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かけだし弁護士の頃(18)

かけだし弁護士の頃(18)

 

1986.1.5

 1月2日に家族で魚津に帰る。

 その日は魚津で泊まり、3日朝日町の妻の実家へ行く。

 妻の実家では、正月ということで、妻の両親、兄弟、その子供たち、総勢16人が揃う。

 子供たちだけで8人であり、賑やかであった。

 

1.13

 アンサンブルの練習に参加する。

 バッハのブランデンブルク協奏曲4番の練習。

 皆、それぞれに上手い。

 初心者の私は針のむしろに座らされている気持ちだった。

 

1.23

 今年から帳簿をつけている。

 1月の収入は僅かだ。

 なんともならない。あわててもしょうがない。

 

  • ※ このときはI弁護士の下で仕事をし、給料を戴いていました。

3年契約の2年目であり、1年後に独立の予定でした。

 

2.8

 アンサンブルの練習。

 いよいよ演奏会まで1週間となる。

 演奏者の技量にもいろいろの段階があり、それをまとめていくことは、難しいことである。

 むろん私は最低のレベルなのだが、それを責められることはない。有り難いことだ。

 

  • ※ 初めての演奏会に参加させていただきました。

鶴舞名古屋市公会堂での「名古屋女性フェスティバル」のオープニング・プログラムとしての演奏でした。

 

2.9

 テニスに行く。

 M夫妻を知る。三菱モンサントに勤めているという。

 土浦にいたときのテニス仲間に、やはり三菱モンサントの方がいたので聞くと、ご存知だった。

 テニスを通じての共通の知人ということで、話がはずんだ。

 

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かけだし弁護士の頃(17)

かけだし弁護士の頃(17

 

1985.12.3

 バイオリンのレッスン受けることにする。

 名東区のK先生を紹介される。

 始めは音の出し方から。

 あせらず、ゆっくり行こう。

 

12.7

 父の一周忌で魚津に行く。

 光徳寺で法要。次いで、浜田屋で会食。

 父の兄弟、母の兄弟など10名ほど参加する。

 

12.15

 日曜日。朝、教会に行く。

 2週間ぶりに行くと、自分に垢がたまっていたようで、それが流される気がする。

 

12.17

 バイオリン・レッスン

 ビブラートがほとんど出来ない。練習が必要だ。

 帰途、雪で道が白くなっていた。

 

  • ※ ビブラートとは、指を柔らかく動かすことにより、音を振るわせる技術です。

私は指が固くてあまり動きませんでした。

 

1986.1.1

 熱田神宮に初詣。

 玄関にしめ飾りをする。初めてのことだ。

 年賀状来る。

 土浦のときのテニス・パートナーのI氏、茨城県選手権で3回戦まで行ったとのこと。すごいと思う。

 私自身は、このところテニスから遠ざかっている。もう一度、打ち込んで見たい・・・

 

  • ※ 名古屋に来て2度目の正月を迎えました。

自然に、新年にお参りをするようになりました。

この習慣は続いており、現在は白鳥神社に初詣しています。

 

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